私は、二月に大学のゼミのフィールドワークでドイツとポーランドに行ってきました。
特に、ポーランドのアウシュビッツで受けた衝撃は大きく、うまく言葉にできないことも多々ありますが、
今回は私がそのとき感じた事をお伝えしようとおもいます。
このフィールドワークの目的は、ナチスによるホロコースト、すなわちユダヤ人大虐殺の歴史を学ぶことでした。
殺されたのも、殺したのも、傍観していたのも、助けたのも、みんな家族や恋人や友人がいる、感情のある一人ひとりの人間なのだ、ということを実感しました。
最大限に良いことも最大限に悪いことも(その定義は難しいですが)人間にはできるということを感じ、人間の可能性を考えさせられる10日間でした。
ホロコーストで犠牲になったユダヤ人 |
なぜこんなにも酷いことが起こってしまったのだろうかと考えてみて、理由の一つを自分なりに見つけました。それは、想像力の欠如です。
差別や偏見というのは、相手を1人の個人ではなく、人種や宗教、性別、身分といったカテゴリーとしてでしか捉えていないときに生まれるものではないのでしょうか。
それゆえに、相手やその家族、友達、恋人などがどういう気持ちになるか想像できなくなってしまうのです。
ホロコーストの人びとが履いていた靴 |
ホロコーストだけに限らず、現代における人権問題にも全く同じことが言えると思います。
1人ひとりが意識して相手の立場に立って考える、それこそが人権問題を無くすカギである、と思います。
中川
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